SSブログ
教会写真-1.jpg
証(あかし) ブログトップ

救いのあかしと現在 [H.Y姉] [証(あかし)]



昨年の11月末に横浜から久留里に転居し、12月から、畑沢福音キリスト教会の
礼拝に出席させていただいていますH・Yです。
今日、こうして証しの場を与えていただき、ありがとうございます。

私は、四国の愛媛県と島根県の田舎の教会で牧師をしていた両親のもとで、
4人の子どもの二女として生まれました。
小学校1年生まで過ごした田舎での生活は、日が暮れるまで野山を駆け巡るような、
毎日がのびのびと穏やかな、私にとっては、楽しい思い出のいっぱい詰まった暮らしでした。

私が小学校1年生を終えたとき、何らかの事情により、父はそれまでの牧会生活に
ピリオドを打ち、私たち家族はその後、神戸、京都、大阪と移り住みました。
しかし、父が牧師をやめてからは、そんな穏やかな暮らしは一転し、
家族には何も事情が分からないまま、父の一存でさまざまなことが決まり、
突然の引っ越しで、小学校を3回転校しました。
同じ国内とはいえ、そのたびに違う文化に戸惑い、人間関係を一から
築きなおさなければならないストレスとまた、学校でのいじめにもあい、
都会での小学校生活には、あまりいい思い出がありませんでした。
それに加えて、家庭内では父の性格の変化が顕著で、怒りが激しく、
支配的であるのみでなく、家庭内暴力、虐待に発展するようになり、
その対象がいつも私でした。
精神的・心理的・肉体的両面の激しい苦痛の中で、
「この人は、気が狂っている、私はこの人に殺される」
と感じるほどの激しいものでした。
 
それとは裏腹に、教会内では、まるで別人、立派な信仰生活を送っている人を
演じているように見える父の姿が何とも偽善的と感じ、私はいたたまれなく嫌で、
父もクリスチャンも、全く信用しなくなりました。
以前は、何も取り立てて疑問に感じることもなく、ただ習慣で通っていたにすぎなかった
日曜学校も、ある時から、子どもだって個人の自由として、日曜日に教会に行かない
という選択肢があることに気づき、教会に行かないで日曜日に家族ですごしている人のほうが
幸せそうにしているではないかと感じるようになりました。

残念なことに、イエス・キリストの福音、十字架の愛と罪の赦し、個人的な救いや神様が
日常生活の中でどんなに良くしてくださったか、といった生きた信仰を両親から
聞かされた記憶がありません。
キリスト教の神様という存在は信じられても、絵本や聖書の話で聞く、
キリストの存在は、2000年後の自分と何の関係があるのかわかりませんでした。

しかし、「よきクリスチャンホーム」を演じている父にとって、自分の子どもが
教会に行かないということは自分の顔に泥を塗る行為であり、何としてでも無理やり
連れて行こうとされればされるほど、私の心はますます教会から、父から離れていきました。

高校受験があるからという名目と、父がその頃、入院するほどに自分の体調を崩していた
こともあり、父からの干渉がなくなり、教会に行かなくても誰からも何も言われなくなった時期は
正直ホッとしました。
ところが、受験も終わり、高校生になってしばらくしたころ、なぜか突然「教会にいってみたいな」
という気持ちが自分の中から出てきました。
理由はわかりません。
当時、中高生会とか、学生会というものが教会の中になかったので、
高校生は、青年会の交わりの中に入れてもらっていました。
家にも、外にも居場所のなかった私にとって、青年会の人たちの交わりの場が、
本当に暖かく、安心して居られる心地よい場所でした。
奉仕の場、遊びの場、個人のお宅、誘っていただける所はどこにでもついていきました。
教会の中にいるときだけでなくどんなところでも、そのメンバーの人たちは
いつでも裏表なく同じでした。
そして、いつも聖書を読み、聖書の御言葉が身近にあり、教えられたことを、
普通の会話の中でごく自然に正直に話していました。
聖書の御言葉を、自分の生活にごく自然に適用していこうとしていました。
本気で神様を信じている人がいるのだと初めて感じました。
本当に私という人格を大事にしてくれ、一緒にいるときは楽しくて仕方がありませんでしたが、
やがて、その人たちと一緒に居ればいるほど、だんだんに、自分とは相いれないものを感じ
寂しさを覚えるようになりました。
水と油が混ざらないように。
その人たちのようにいい人が本当のクリスチャンになれるんだ、私はクリスチャンになれないと。
私は、父を憎んでいました。
そして、世の中を斜めに見ていました。
友達を大事にすることができず、仲の良い友達が傷つくことも平気でした。
そして、そんな自分自身が嫌いでした。
自分で自分を変えようと思ってもできないこともわかっていました。
父から浴びせかけられる言葉によって、自分は価値がなく、生きていてもしょうがない
存在だと思っていました。

そんな時、高校生向けの集会に誘っていただき、クリスチャンの小児科の
お医者さんの話を聞く機会が与えられました。
その時、語られたルカによる福音書5章31~32節
「そこでイエスは答えて言われた『医者を必要とするのは、丈夫なものではなく、病人です。
わたしは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるために来たのです。』」
が自分のために用意され、口から発することのない心の叫びにぴったりの答えでした。
一番ふさわしくないと思っていた「善い人にはなれない」自分をイエス・キリストが招き、
受け入れてくださると知りました。

イエスキリストを救い主と信じて、教会の公の場で告白して洗礼を受けました。
教会のメンバーとして受け入れてもらい、さまざまな奉仕をさせていただけることが
本当にうれしくてたまりませんでした。
しかし、私の中では、未解決の矛盾点をいろいろ抱えたままでした。
父のことを赦すことができず、心の中で憎しみの気持ちを持ち続けたままであり、
父のいる場はもちろんのこと、父がいない場でも、まるで、父の呪縛に合っているかのように、
自分の救いの証しの中で、自分の身に起こった事実、自分にとって本当につらかったことを
話すことができなかったのです。
救われた喜びに満ちて、生き生きと救いの証しをするはずの、証しの場に立つのが本当に苦痛でした。
父と向き合って話そうとしても、話がかみ合うことがほとんどなく、なんでも頭ごなしに否定されるか
父の怒りのスイッチが入ると、気が狂ったような激しい暴力につながるので、
できるだけ父とは口を利かない、関わらないようにしていました。
なぜ神様は、こんな父をそのままにされているのか、私には理解できませんでした。
そして、クリスチャンになってからも、自分は何のために生きているのだろうか
という思いに襲われる時が何度もありました。
そんな時、イザヤ43章の御言葉に出会い、心の支えとなっています。
「1節:・・・あなたを形造った方、主はこう仰せられる。恐れるな。わたしがあなたをったのだ。
4節:わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」
父が私に何を言ったとしても、神様がその御言葉を持って私の存在を受け止めて
くださっていることを知ってからは、だれにも私の存在そのものを脅かされることなく、
私は生きていっていいのだと思えるようになりました。
その御言葉によって支えられ、どれほど助けられたかわかりません。

その後、結婚し、新しい家庭ができ、子ども与えられました。
自分は、決して自分の親のようにはなりたくない、親を反面教師にして子どもを愛情深く育て、
温かい家庭を作っていこうと思っていました。
私の心の中にいつも存在していた思いは、
「父は悪い、私は被害者だ。決して私は父のようにはならない。私は父とは違う。」
ということでした。
しかし、子育てをしていく中で、
「これはまるで父がしてきたことと同じではないか」
と思う瞬間があり、愕然とすることがありました。
子どものためにと思う気持ちの押し付けをしようとする自分と、
自分の思い通りの反応をしない子ども、それに対して「なんでそうしないのか」と怒りがこみあげてきて、
自分の中でどんどん怒りが大きくなり収まらなくなっていく・・・。
程度の差こそあれ、父と似ていると築いた瞬間、ひどくショックでした。
私は父ほどひどくはない、父はもっとひどかったと自分の中で言い訳しながらも、
問題はことの大きい小さいではない、一番認めたくなかった「私も父と同じだ」ということでした。
神様の前には、大きい罪も小さな罪もなく、罪人であるということだけです。
そして、ただイエス様の十字架の贖いによって赦された者に過ぎないという事実だけでした。
 
神様の前には父も私も同じなのだと受け止めることができても、
現実に何も変わらない父の姿を見ると、やっぱり父のことは受けいれられないと感じてしまう私でした。

今から10年ほど前に父は脳出血で倒れ、生死をさまよいました。
その知らせを受けて、急いで父のもとに駆け付けるとき、父のことを心配するというよりも
私の心の中は「まだ父に謝ってもらっていない」という思いのほうが圧倒的でした。
生きている間にちゃんと私に謝って、罪を悔い改めて許されてから天国に行ってほしいと
一方的に思っていました。
しかし、私が願ったようにはなることはありませんでした。
父が現実と向き合い、過去の過ちを認めて娘に謝ることがないまま、
今年の1月5日、父はこの地上での生活を終えました。
 
ただ、昨年末のある日の礼拝メッセージの中で
「あなたにとっては、こんなにひどい人と思えるその人を、私は愛したいのだ」
とキリスが切実に語りかけているのを聞いた思いがしました。
「あなたの罪の身代わりになり、十字架にかかるほどに、私はあなたを愛しています。
そして、あなたの赦せないその人をも、私は愛したいのです。」と。
そして「私たちに対して罪のあるものを赦していますから、私たちの罪の赦してください」という
主の祈りが迫ってきました。憎しみから自由になるステップとして、自分の感情が伴っても伴わなくても、
まず赦しの宣言をすること、とかつて聞いたことがあるのを思い出しました。
私は、今の家への引っ越しの準備で物の整理をしていくし作業は、自分の過去を振り返り、
自分と向き合う作業でもありました。
自分がいかに罪人であるかということを改めて突き付けられ、自分こそ
神様に許されなければならない存在であるかをいうことと認める以外に何もないと感じる日々でした。
主の祈りの言葉が迫ってきて、父がなくなる数日前、もうコミュニケーションが取れなくなっていましたが、
「もうお父さんのこと、許しているから」と声に出して伝えることができました。

まだまだ、神様に取り扱っていただかなければならないことの多い私ですが、
最近のオリーブ会の学びを通して、「陶器師である神様の御手の中にある粘土である自分」
ということを受け取ることができるようになりました。
そして、ピリピ1章6節「あなた方のうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでに
それを完成させてくださることをわたしは堅く信じているのです。」の御言葉に期待しながら
歩んでいきたいを思っています。


神様との出会い [K姉] [証(あかし)]





私は、元々宗教は嫌いだし、神様はいないと思っていました。
そこにどんな変化があったかお話したいと思います。

私は日本で言う、ごく一般的な生活をしていたと思います。
それは仕事が忙しく、有休は取りづらく、趣味と言える物もなく、
休みの日は昼まで寝てゴロゴロ過ごす、人間関係でもストレスを抱えたり、
でもこれは私だけじゃなくみんな同じだと思います。
だから一般的な生活だと思っています。
そのストレスを何とかするために趣味を見付けようと思い、小さいころからやりたかった、
ダイビングを始める事にしました。
もともと海が好きなので、海に入っている事だけで楽しく、仕事以外の仲間が出来、
良い気分転換ともなりました。  

私の父は2005年に48歳で亡くなり、伯母もその数年後50代で亡くなりました。
私は自分もきっと60歳も生きないのかも知れないと思いました。
それを怖いとか考えた訳ではなく、自分の人生について考えるようになりました。
大好きなダイビングも連休がないし、有休も取りづらいので伊豆へ日帰りしか行けず、
沖縄や海外にも行ってみたいのに、一生のうちに何回いけるのだろうか??
そんなことを考え始めました。
そして、自分にダイビングの講習をしてくれたインストラクターがオーストラリアのパースで
インストラクターになった話を思い出し、自分も海外で資格を取れば海外でたくさん潜れるなぁ。
っと考えて、インターネットで調べ始めました。

インストラクターコースの留学について30歳までという記載を見ました。
そのとき丁度30歳になったばかりで、「あぁ。もう行けないんだ」って思いました。
取あえず資料請求したら数時間後に電話があり、お話をしていたら、
31歳の誕生日前なら行けることが分かりました。
行けないと思っていたので、行けると分かったら、行かなきゃ!!って思いました。
急に自分の生活が大きく変わり始め、人生に転機ってあるんだなぁ!って嬉しく思いました。
そして半年後仕事を辞めて2011年4月オーストラリアに行きました。

オーストラリアに来て数ヶ月後、私はシドニーに居ました。
シドニーの語学学校に通ってから、パースへ移動する事にしていた為です。
シドニーの教会で英語の無料レッスンがある事を知り、英語の勉強の為に行ってみようと思いました。
実際に来てみると、みんなが優しかったし、英語も聞けるし、
クリスチャンじゃない人も来ていたので、来やすいと思い、
パースに行くまでの5ヶ月間はなるべく来ようと決めました。
この時は、英語の勉強の為だけに来ようと思っていました。
私は、お坊さんが法事の際にするような、為になる話を聞くのが好きだったのですが、
教会のお話は神様、イエス様を信じると救われるとか、素晴らしい事が起こるとかだったので
全く心に響かず
「あぁ。これが本当の宗教かぁ。みんなイエス様とか神様を信じたいんだなぁ。
どうして、起こった事が神様のお陰とか言えるんだろう、神様がしてくれたか分からないじゃん」
って思っていました。

そのうち、聖書の学び会に出るようになっても、信じないと、何も起こらないって言うので、
受け入れることは難しかったです。
ただ私は小さい時、あるきっかけから自分が生まれた事を奇跡と思っていて、
その時から自分が何のために生れて、何かしなきゃいけないのではないか??と思っていました。
これは生まれた事が辛かったのではなく、この大勢の人間の中で、自分の意思があり、
自分が存在する事がすごいことだとまだ7,8歳の私は気付き喜んだうえでの疑問でした。
そして学び会の時に、
「神様が全てを創り、人間ひとりひとり、つまり私をも創った」
と教わり、それなら、神様がなんで私を創ったのか知りたいと思いました。
そして、イエス様を受け入れて、神様が私を創った理由を聞けるようになりたいかと聞かれ
『うん。』と答えました。
でも、クリスチャンになるってことだと、半分は思っていて、でも洗礼の儀式を受ける訳じゃないから
大丈夫だろうと思っていました。
正直この時はクリスチャンにはまだなりたくなかったんです。
なぜなら、クリスチャンになると言う事は、既に他界した父が地獄に居る事を
認めることになると思ったからです。
父はクリスチャンじゃないからです。
でも、私に聖書を教えてくれ、福音してくれた教会の友人のことはすごく好きだったし、
信じていました。
だから、彼女たちの話や、彼女たちの信じている事は真実なのだと知りたかった。

だからただ知ろうとしました。
その友達がYoutubeでイエス様の映画を教えてくれました。
それを見た時、英語だったので殆ど話は分からなかったのにも係わらず大切なことに気付きました。
「イエス様は、人として生きてしかも私なんかと比べものにならないぐらい大変な苦労をされ、
そして十字架に掛けられて死ぬと言う事がどんな残酷で苦しいことか」
ということでした。
そして、これは映画の中の話ですが、イエス様のこの世の父親が亡くなって、
イエスが酷く悲しんでいるシーンがありました。
それを見て「イエス様は私の気持ちを知ってる!!お父さんは地獄にいない!」って思いました。
そして、「すべての人の心を理解して下さっている!!」って事を感じました。
おそらくこの瞬間にイエス様を私は受け入れました。

私の心はすごく喜びに満ちていました。
でも次の日ぐらいから、急に心に何とも言えない不安感と、胸騒ぎと気持ち悪さが私を支配しました。
今までに経験したことのない感覚で体調不良とは違うと思いました。
教会へ来れば治るかと思ったけど、教会へ来るとひどくなりました。
クリスチャンの友人に状況を話すと、おそらく悪魔からの攻撃を受けているといわれました。
悪魔はクリスチャンを妬んで攻撃することがあるからです。
皆が祈ってくれました。
少し良くなったと思ってもやっぱり不安は消えませんでした。
自分でも毎日、私はイエスキリストに属するもの悪魔が去るように祈るようになりました。
悪魔の攻撃を受けてから3回目の日曜日には、すっかり良くなりました。
私は、神様は聖書で3という数字を良く使う事を知っていたので、
2回目の日曜日にも良くならなかった時、次は3回目だから治ると漠然とした自信がありました。
きっと、私の信仰も強まったのだと思います。
私はまず、悪魔によって自分がクリスチャンであると教わりました。
神様より先に悪魔の存在はすんなり信じました。
それ程、今まで味わったこと無い不快感だったのです。
それでもまだ、イエス様とか神様が実際には全く分かりませんでした。
私はただただ知りたくてずっと自分でも教えて欲しいと祈っていました。
このころ私はずっと、ある聖書箇所が気になっていました。

マタイ10:33 しかし、人の前でわたしを知らないと言うようなら、わたしも天におられる
わたしの父の前で、そんな者は知らないと言います。

周りの人に、教会へ行っている事を話せずにいたことや、家族に話していない事を
ずっと気になっていたし、イエス様のこの言葉に、罪悪感が増していました。
だから勇気をもって自分がクリスチャンになったことを友達と家族に話しました。
その約1ヶ月後の12月頃から、不思議な事がたくさん起こるようになりました。
初め、教会で本を無くしました。
友達に電話で相談したら、その場で祈ってくれました。
私も家でお祈りしました。
そして、次の日その友達が見付けてくれました。
でも、この時私は、お祈りしなくても見つかったかもしれないと、あまり信じていませんでした。

次に私のipod touch が何故か突然インターネットに繋がらなくなりました。
パソコンとかは繋がるのに、ipodだけが繋がりませんでした。
私は、機械にそこまで弱く無いので「復元処理」という、初期化をしてみました。
でも直りませんでした。
お祈りしてから、もう一度試してもダメでした。
何度祈っても、何度やり直しても直りませんでした。
次の日も直りませんでした。
やっぱり、世の中そんなに甘くないかぁ。って思いました。
そしてその次の日が日曜日で、教会で聖書学び会の後に、友人に話し、
3人でこの事を祈りました。
そして、そのままバイトに行き、家に帰ってネットに接続してみると、一発で繋がりました!!
これは、本当にビックリしたし、祈りが聞かれた!て思いました!
 
けどなんで私が祈ってもダメだったのかなぁ?とも思いました。
牧師が祈ったから聞かれるとか、私が祈ったら聞かれないとかは無いと聞いていたからです。
でもすぐ分かりました。
もし、自分で祈ってすぐ直っていたら、私はまた、ただの不具合だったのかなぁって思って、
祈りが聞かれたと100%は信じられなかったと思います。
でも、このタイミングで聞かれたので、神様は本当に居たんだ!!!て感じました。
神様は私がすぐに信じない事も知っていて、このタイミングで祈りを聞いたのだと理解しました。
もっと言うと、私に知らせる為にipodを壊したのも神様だと思います。
それは、壊れ方が普通じゃなかったからです。

そして次の日、学校で嫌な事がありました。気持ちが酷く落ち込み、このままバイトに行ったら、
どんなミスをするか分からないし、働ける気がしませんでした。
以前、友達が言ってくれた事を思い出しました。
「辛い時は自分の力で頑張る事を止めて主に全てを預けてみて下さい。
そうすれば、主はそこに自分の意思を置かれます」
と言う内容でした。
それを聞いた時はまだ神様を信じ切れていなく、仕事の事など祈れないと思っていました。
仕事は頑張るものだと思っていたんです。
でも神様の存在を知ったので、 私は「イエス様、最近、私は凄く疲れているし、
学校で傷つく事もあって、このままだとバイトでちゃんと働ける気がしません。
だから、今日は自分の力で働けません。主よ。どうかあなたの御心のままに、私を助けて下さい。」
と祈りました。

バイトに行くと、テーブルの並びで、団体予約が入っているのが分かり、今日は忙しいのかぁ。
と思いました。その直後、お客様から電話があり、予約が15人になりました。
と言われました。
そのとき、私は良く分かっていませんでした。
でも話を聞くと30人の予約が、突然15人になったと分かりました。
そして、自分が祈った事を思い出し「ハッ」としました。祈りが聞かれた!!!!と思いました。
これだけ聞くと、オーナーが可哀想だと思うかもしれませんが、神様は私の祈りを聞く為に、
誰かに不利益を与えないと信じています。
なぜなら、神様はみんなを愛し、良い神様だからです。
でも、私自身も感謝し、オーナーにも今日の不利益分、なにか富を与えて下さい。
そして、予約の幹事をされていたお客さんも傷つきませんようにどうか配慮して下さい。
とお祈りしました。
祈りは必ず聞かれます。
だから、すぐにでなくても、必ず聞かれていると思います。

これ以外も、私の祈りはたくさん聞かれています。
火傷が綺麗に治ったり、大事な約束に遅刻しそうだったのが間に合ったり、
ニューイヤーイベントで、最高の場所で人混みにもまれる事も無く、
帰りまでスムーズに帰れた事、ブログ上で知り合った、特定疾患を患っている女性の為に祈ったら
2日後のブログに2年振りに薬が減ったと書かれていた事などです。

教会に来てから、お祈りの内容は、このような日常の小さな事を祈っていい事にまず驚きました。
お祈りと言えば、「お願い事」で、「一生のお願い」みたいなことだと思っていたからです。
でも、お祈りは「神様との会話でコミュニケーション」であり、こんな小さな祈りさえも聞いて下さる
すごく身近な、私達ひとりひとりに密接に関わってくれる神様だと知りました。

ある日の礼拝中のメッセージで気付いた事がありました。

マタイ14:25から33 《イエスは湖の上を歩いて、舟にいる弟子たちのところに行き、
弟子のペテロも舟から出て、水の上を歩いてイエスの方へ行ったが、風を見てこわくなり、
沈みかけイエスに助けてもらう》話のところです。

牧師先生は、新しい事を始める時は、この舟から出てみること、安全な所から勇気を持って
踏み出すことと同じだと教えて下さいました。
法事の後に聞いた、お坊さんのお話や、様々な人の体験談や、仕事の出来る先輩や上司
又は友達も、おそらく他の宗教も、人を励まし舟から出てみる勇気を与えてくれます。
でも、その後がイエス様は違うと思いました。
例えて言えば、私は今まで何度となく、舟から出て水の上を歩いてみました。
そして、すぐに沈みかけ、舟の上から、家族、友人や先輩、または色々なお話に、
何度も励まされ、何度も、何度も立ち上がりました。
そして実際には誰もつかんで助けてはくれていなかったのだと、
みんな、舟の上から励ましてくれていただけだったと思いました。
イエス様は、信仰の薄い奴だな。と言いながらも、直接手を伸ばし助けてくれます。
その前だって、自分が水の上を歩いて見せてくれます。
本当に困難な時は、イエス様しか実際には救えないのだと思いました。
私はただ、イエス様を信じついて行くだけでよく、つまずいても助けてくれる
ある意味もう頑張らなくても良いのだと知りました。

私の今まで聞いた、人の励ましや、為になるお話は、私自身がすごく頑張らなければいけません。
でも、そういった話の方が人の心にはすんなり響き、共感できます。
それは当然だと思います。
なぜなら、みんな神様もイエス様も知らないからです。
でも、実際に居ると知った今、私の心は軽くなりこれからに希望が持てました。
私はただジンベイザメとコバンザメのようにイエス様に守られてついて行く。
イエス様を知らなかった時、ついていくだけの人生なんてつまらない。て思いました。
でも、そうではないのです。
実際に生きていくのは私自身だし、イエス様は私の祈り、つまり話を聞いて下さいます。
イエス様は私の心をも考慮し、最高の道を教えて下さいます。

もちろん、困難が無くなる訳では無いのも分かっています。
困難な時が無くなったら、人は、幸せな事が当たり前になって、幸せを幸せとも思わなくなると思うし
困難な時ほど、人は多くを学び感じるものだと思います。
そういった意味でも、神様は困難な時をも愛を持って与えて下さるのだと思います。
でも、困難なときも、イエス様は必ず手を伸ばし助け出してくれると、今は信じられます。
教会に初めて来た時、違う世界の様に感じました。
確かに、この世とは違う、確かな希望と明るい未来がある世界でした。
そして、私は思いました。
私はこの世の事すら何も知らなかったと・・・。
私は、宗教の枠にとらわれず、逃げずに勇気を持って真実を知ろうとし、
完全に否定する前に、疑いながらも知ろうとし、本当に良かったと思っています。

私はこれからも、この世の事も、聖書にある事実も、神様についても全て、
真実を追求していきたいと思っています。
そして、このノンクリスチャンの時に感じた事、クリスチャンになって間もない
この時期に感じた初心を大切にしたいと思います。

今まで出逢った全ての人へ感謝します。
ありがとうございました。
証(あかし) ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。