ヒゼキヤから習った教訓 ③ [ウェストン師] [礼拝メッセージ]
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~②のつづき~
またヒゼキヤ王は、公に自分の罪を告白しました(29:23)。
王にとって高慢さは大きな誘惑でしょう。王という立場が
高慢さという態度へと誘惑します。
そしてそれは全てのリーダーについて言える事です。
しかしヒゼキヤは、皆の前で自分が罪人である事、
自分には赦しが必要という事を認めました。
彼は自らへりくだっていました。
彼は罪の罰は死だという事を証明してみせました。
さらに、ヒゼキアは、礼拝のために特別に音楽を用意しました(29:25)。
神様のみことばに従いました。音楽を通して礼拝しましょう。
個人的に礼拝する時も、賛美すると良いでしょう。
30:18~20は、宿題として読んで下さい。
ヒゼキアの祈りについて考えてみて下さい。
民の多くは神様に従いませんでしたが、ヒゼキヤは彼らのために祈り、
彼らは主によって赦されました。
そして私達も同様に、赦しが必要な人たちのために祈る事ができます。
これ以外に、ヒゼキヤが行なった良い事は多くあります。
是非ヒゼキヤについて読んでみて下さい。
その全ての後で、聖書はこう語っています。(31:20~21)
ヒゼキヤは完璧ではありませんが、神様に従うすばらしい人でした。
彼は良い模範です。
しかしその後、ヒゼキアの国ユダは、他国から攻め入られます。(32:2)
これをどう解釈しますか?
一つの解釈は、たとえ良い人でも 悪い事が起こるということです。
別の解釈は、試練を受けてもヒゼキヤの信仰が揺るがないということを、
神様は知っておられたということです。
ご利益的な信仰をもっていますか?
神様に従うと、安全、健康、喜び、平和
・・・が得られると信じるのは、ご利益的な信仰です。
真の信仰(聖書的信仰)は、神様は神様だから、神様は愛だから、
神様は素晴しいだから、・・・神様に従うのです。
皆さん、ヒゼキヤから教訓を得ましょう!
2011-11-17 19:21
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