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誰が幸いですか?―④ [ラルフ師] [礼拝メッセージ]





◆ マタイ5:1~12 より

今日は、至福の教えの最後、迫害についてです。
先程、実際に起こった迫害の例をあげましたが、 命が危険な場合だけでなく、
いじめ、差別なども迫害です。
イエス様は全部合わせて言っているのでしょう。
皆さんはクリスチャンであるがゆえに迫害を経験したら、どこまで我慢するでしょう?

最近、私は時々、欧米や日本で、教会はただの一つのサークルのようなものだ
という考え方があると感じます。
もし教会が単なるサークルのようなものだったら、私たちはどこまで迫害を我慢できるでしょう?
もし私たちが、神様がどのくらいすばらしい、力強い、聖いお方かわかったら、
どのサークルよりも大切になります。
イエス様が十字架にかかってくださった事がわかったら、聖霊に満たされたら、
私たちは迫害に耐えられると思います。
イエス様はなぜ迫害について教えたのでしょう。
それは、昔も今も、神様を信じ従っている者が実際に迫害されているからです。
聖書の中でも、あなたは迫害される、と何度か繰り返されています。

イエス様は、クリスチャンは迫害を経験することを教え、「そういう人は幸いです」と教えています。
なぜ幸いなのでしょう。
それは、もし私たちが迫害されたら、私たちはこの世の富から目を離して、
神様の富を見つめるからです。
また、信仰の中の重点(使徒信条の中にあるような事)だけに戻る事が出来るからです。
キリストは友達に見捨てられ、裏切られ、過労で、最後に拷問を受け、十字架上で殺されました。
私たちが迫害を経験したら、同じ経験をされた神様が解ってくださる。
そばにいてくださる。
外から見たら、迫害されている人はかわいそうに見えます。
その人たちが解放されるために祈る、それはいいことです。
しかし実際迫害された人は、「肉体的には大変だったが、神様のなぐさめを経験した」といいます。
そして「自分が解放されるように」ではなく、「自分が迫害している人たちに証が出来るように」
「他の信者がなぐさめられるように」祈るそうです。

私たちは、神様のためにがんばるほど、きよくなるほど、余計目立ちます。
迫害をうけます。
しかしこれはイエス様が言っていたように、当たり前の事です。
もし差別や迫害を経験したら、もっと信仰を働かせてください。
自分が迫害にたえられる事を信じてください。
神様があなたや家族を守ってくださる事を信じてください。
それによってあなたがもっとキリストの姿になる事を信じてください。
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