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救いのあかしと現在 [H.Y姉] [証(あかし)]



昨年の11月末に横浜から久留里に転居し、12月から、畑沢福音キリスト教会の
礼拝に出席させていただいていますH・Yです。
今日、こうして証しの場を与えていただき、ありがとうございます。

私は、四国の愛媛県と島根県の田舎の教会で牧師をしていた両親のもとで、
4人の子どもの二女として生まれました。
小学校1年生まで過ごした田舎での生活は、日が暮れるまで野山を駆け巡るような、
毎日がのびのびと穏やかな、私にとっては、楽しい思い出のいっぱい詰まった暮らしでした。

私が小学校1年生を終えたとき、何らかの事情により、父はそれまでの牧会生活に
ピリオドを打ち、私たち家族はその後、神戸、京都、大阪と移り住みました。
しかし、父が牧師をやめてからは、そんな穏やかな暮らしは一転し、
家族には何も事情が分からないまま、父の一存でさまざまなことが決まり、
突然の引っ越しで、小学校を3回転校しました。
同じ国内とはいえ、そのたびに違う文化に戸惑い、人間関係を一から
築きなおさなければならないストレスとまた、学校でのいじめにもあい、
都会での小学校生活には、あまりいい思い出がありませんでした。
それに加えて、家庭内では父の性格の変化が顕著で、怒りが激しく、
支配的であるのみでなく、家庭内暴力、虐待に発展するようになり、
その対象がいつも私でした。
精神的・心理的・肉体的両面の激しい苦痛の中で、
「この人は、気が狂っている、私はこの人に殺される」
と感じるほどの激しいものでした。
 
それとは裏腹に、教会内では、まるで別人、立派な信仰生活を送っている人を
演じているように見える父の姿が何とも偽善的と感じ、私はいたたまれなく嫌で、
父もクリスチャンも、全く信用しなくなりました。
以前は、何も取り立てて疑問に感じることもなく、ただ習慣で通っていたにすぎなかった
日曜学校も、ある時から、子どもだって個人の自由として、日曜日に教会に行かない
という選択肢があることに気づき、教会に行かないで日曜日に家族ですごしている人のほうが
幸せそうにしているではないかと感じるようになりました。

残念なことに、イエス・キリストの福音、十字架の愛と罪の赦し、個人的な救いや神様が
日常生活の中でどんなに良くしてくださったか、といった生きた信仰を両親から
聞かされた記憶がありません。
キリスト教の神様という存在は信じられても、絵本や聖書の話で聞く、
キリストの存在は、2000年後の自分と何の関係があるのかわかりませんでした。

しかし、「よきクリスチャンホーム」を演じている父にとって、自分の子どもが
教会に行かないということは自分の顔に泥を塗る行為であり、何としてでも無理やり
連れて行こうとされればされるほど、私の心はますます教会から、父から離れていきました。

高校受験があるからという名目と、父がその頃、入院するほどに自分の体調を崩していた
こともあり、父からの干渉がなくなり、教会に行かなくても誰からも何も言われなくなった時期は
正直ホッとしました。
ところが、受験も終わり、高校生になってしばらくしたころ、なぜか突然「教会にいってみたいな」
という気持ちが自分の中から出てきました。
理由はわかりません。
当時、中高生会とか、学生会というものが教会の中になかったので、
高校生は、青年会の交わりの中に入れてもらっていました。
家にも、外にも居場所のなかった私にとって、青年会の人たちの交わりの場が、
本当に暖かく、安心して居られる心地よい場所でした。
奉仕の場、遊びの場、個人のお宅、誘っていただける所はどこにでもついていきました。
教会の中にいるときだけでなくどんなところでも、そのメンバーの人たちは
いつでも裏表なく同じでした。
そして、いつも聖書を読み、聖書の御言葉が身近にあり、教えられたことを、
普通の会話の中でごく自然に正直に話していました。
聖書の御言葉を、自分の生活にごく自然に適用していこうとしていました。
本気で神様を信じている人がいるのだと初めて感じました。
本当に私という人格を大事にしてくれ、一緒にいるときは楽しくて仕方がありませんでしたが、
やがて、その人たちと一緒に居ればいるほど、だんだんに、自分とは相いれないものを感じ
寂しさを覚えるようになりました。
水と油が混ざらないように。
その人たちのようにいい人が本当のクリスチャンになれるんだ、私はクリスチャンになれないと。
私は、父を憎んでいました。
そして、世の中を斜めに見ていました。
友達を大事にすることができず、仲の良い友達が傷つくことも平気でした。
そして、そんな自分自身が嫌いでした。
自分で自分を変えようと思ってもできないこともわかっていました。
父から浴びせかけられる言葉によって、自分は価値がなく、生きていてもしょうがない
存在だと思っていました。

そんな時、高校生向けの集会に誘っていただき、クリスチャンの小児科の
お医者さんの話を聞く機会が与えられました。
その時、語られたルカによる福音書5章31~32節
「そこでイエスは答えて言われた『医者を必要とするのは、丈夫なものではなく、病人です。
わたしは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるために来たのです。』」
が自分のために用意され、口から発することのない心の叫びにぴったりの答えでした。
一番ふさわしくないと思っていた「善い人にはなれない」自分をイエス・キリストが招き、
受け入れてくださると知りました。

イエスキリストを救い主と信じて、教会の公の場で告白して洗礼を受けました。
教会のメンバーとして受け入れてもらい、さまざまな奉仕をさせていただけることが
本当にうれしくてたまりませんでした。
しかし、私の中では、未解決の矛盾点をいろいろ抱えたままでした。
父のことを赦すことができず、心の中で憎しみの気持ちを持ち続けたままであり、
父のいる場はもちろんのこと、父がいない場でも、まるで、父の呪縛に合っているかのように、
自分の救いの証しの中で、自分の身に起こった事実、自分にとって本当につらかったことを
話すことができなかったのです。
救われた喜びに満ちて、生き生きと救いの証しをするはずの、証しの場に立つのが本当に苦痛でした。
父と向き合って話そうとしても、話がかみ合うことがほとんどなく、なんでも頭ごなしに否定されるか
父の怒りのスイッチが入ると、気が狂ったような激しい暴力につながるので、
できるだけ父とは口を利かない、関わらないようにしていました。
なぜ神様は、こんな父をそのままにされているのか、私には理解できませんでした。
そして、クリスチャンになってからも、自分は何のために生きているのだろうか
という思いに襲われる時が何度もありました。
そんな時、イザヤ43章の御言葉に出会い、心の支えとなっています。
「1節:・・・あなたを形造った方、主はこう仰せられる。恐れるな。わたしがあなたをったのだ。
4節:わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」
父が私に何を言ったとしても、神様がその御言葉を持って私の存在を受け止めて
くださっていることを知ってからは、だれにも私の存在そのものを脅かされることなく、
私は生きていっていいのだと思えるようになりました。
その御言葉によって支えられ、どれほど助けられたかわかりません。

その後、結婚し、新しい家庭ができ、子ども与えられました。
自分は、決して自分の親のようにはなりたくない、親を反面教師にして子どもを愛情深く育て、
温かい家庭を作っていこうと思っていました。
私の心の中にいつも存在していた思いは、
「父は悪い、私は被害者だ。決して私は父のようにはならない。私は父とは違う。」
ということでした。
しかし、子育てをしていく中で、
「これはまるで父がしてきたことと同じではないか」
と思う瞬間があり、愕然とすることがありました。
子どものためにと思う気持ちの押し付けをしようとする自分と、
自分の思い通りの反応をしない子ども、それに対して「なんでそうしないのか」と怒りがこみあげてきて、
自分の中でどんどん怒りが大きくなり収まらなくなっていく・・・。
程度の差こそあれ、父と似ていると築いた瞬間、ひどくショックでした。
私は父ほどひどくはない、父はもっとひどかったと自分の中で言い訳しながらも、
問題はことの大きい小さいではない、一番認めたくなかった「私も父と同じだ」ということでした。
神様の前には、大きい罪も小さな罪もなく、罪人であるということだけです。
そして、ただイエス様の十字架の贖いによって赦された者に過ぎないという事実だけでした。
 
神様の前には父も私も同じなのだと受け止めることができても、
現実に何も変わらない父の姿を見ると、やっぱり父のことは受けいれられないと感じてしまう私でした。

今から10年ほど前に父は脳出血で倒れ、生死をさまよいました。
その知らせを受けて、急いで父のもとに駆け付けるとき、父のことを心配するというよりも
私の心の中は「まだ父に謝ってもらっていない」という思いのほうが圧倒的でした。
生きている間にちゃんと私に謝って、罪を悔い改めて許されてから天国に行ってほしいと
一方的に思っていました。
しかし、私が願ったようにはなることはありませんでした。
父が現実と向き合い、過去の過ちを認めて娘に謝ることがないまま、
今年の1月5日、父はこの地上での生活を終えました。
 
ただ、昨年末のある日の礼拝メッセージの中で
「あなたにとっては、こんなにひどい人と思えるその人を、私は愛したいのだ」
とキリスが切実に語りかけているのを聞いた思いがしました。
「あなたの罪の身代わりになり、十字架にかかるほどに、私はあなたを愛しています。
そして、あなたの赦せないその人をも、私は愛したいのです。」と。
そして「私たちに対して罪のあるものを赦していますから、私たちの罪の赦してください」という
主の祈りが迫ってきました。憎しみから自由になるステップとして、自分の感情が伴っても伴わなくても、
まず赦しの宣言をすること、とかつて聞いたことがあるのを思い出しました。
私は、今の家への引っ越しの準備で物の整理をしていくし作業は、自分の過去を振り返り、
自分と向き合う作業でもありました。
自分がいかに罪人であるかということを改めて突き付けられ、自分こそ
神様に許されなければならない存在であるかをいうことと認める以外に何もないと感じる日々でした。
主の祈りの言葉が迫ってきて、父がなくなる数日前、もうコミュニケーションが取れなくなっていましたが、
「もうお父さんのこと、許しているから」と声に出して伝えることができました。

まだまだ、神様に取り扱っていただかなければならないことの多い私ですが、
最近のオリーブ会の学びを通して、「陶器師である神様の御手の中にある粘土である自分」
ということを受け取ることができるようになりました。
そして、ピリピ1章6節「あなた方のうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでに
それを完成させてくださることをわたしは堅く信じているのです。」の御言葉に期待しながら
歩んでいきたいを思っています。


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