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隠れた王様 [ヤング師] [礼拝メッセージ]





◆ 第一サムエル16:1~13 より

 

オックスフォード大学の教授だったトールキーンの著書ロード・オブ・ザ・リングの映画にはキリストは出て来ない。が、登場人物3人の中にキリストが隠れているように思う。ガンダルフは魔法使いで優れた知恵と知識がある。死んだような状態があり、キリストの復活のような場面がある。フロドは小人ホビットである。小さくて弱いが勇敢である。主の為に苦しむ僕のようだ。アラゴルンは昔の王の継承者であるが知られていない。名誉と威厳は持っている、隠れた王様だ。目立たないように弱者を守る。癒しの賜物がある。

さて、第一サムエル記16章以前の時代は士師(裁きつかさ)の時代だった。士師はイスラエルを救い出す必要な時のリーダーであり、継承はなかった。やがて、国民は王を求めて、預言者サムエルの元へ行く。サムエルはサウルを任命した。サウル王は最初はよく指導して、イスラエルの状況を改善した。しかし、途中から主に従わなくなっていった。サムエルはサウルを退けた。主はサムエルをベツレヘムのエッサイの所へ行かせた。エッサイの息子たちは次々にサムエルの前を通り過ぎて行った。サムエルは容姿を見ていた。

人はうわべを見るが、主は心を見る(7節)と、主は言われた。

野原で羊の番をしている末っ子のダビデが呼ばれた。

サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真ん中で彼に油をそそいだ。主の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った(13節)

最初ダビデはサウルに好かれ、軍人として重要な役割を担った。後に、サウルに妬まれ攻撃されるようになる。そして、数年間逃亡生活を余儀なくされる。サウルが戦死し、ダビデは30才で王になった。イエスキリストはおよそ30才の時公生涯に入ったと言われている。エゼキエルも30才の頃から預言を始めた。ダビデは軍事的に成功していく。イスラエル最大の領土(現在の、ヨルダン王国・シリヤ・レバノン・イラクの一部)を持った。ダビデは謙遜で誠実だった。サウルを殺す機会があっても殺さなかった。ダビデは寛大で信仰深い。が、欠点もあった。息子たちを上手く育てられなかったり、不倫関係を持った。立派な人物の小さなしみのようだ。最高の王と覚えられていた。

あなたは、わたしのしもべダビデのようではなかった。ダビデは、わたしの命令を守り、心を尽くしてわたしに従い、ただ、わたしの見る目にかなったことだけを行なった。第一列王14:8

また、後の王たちはダビデと比較された。

彼(ユダの王アビヤム)の心は父ダビデの心のようには、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。第一列王15:3

 

ダビデは神の評判も良い。

わたしのしもべダビデのためにこの町を守る。第二列王20:6

 

ヨシヤは八歳で王となり、エルサレムで三十一年間、王であった。 彼は主の目にかなうことを行なって、先祖ダビデのすべての道に歩み、右にも左にもそれなかった。第二列22:1~2

 

後に来る子孫もダビデのようになると預言されている。

一つの王座が恵みによって堅く立てられ、さばきをなし、公正を求め、正義をすみやかに行なう者が、ダビデの天幕で、真実をもって、そこにすわる。イザヤ16:5

 

パウロはダビデの事を説教している。聖書中ダビデのように褒めている人物は他にいない。

それから、サウルを退けて、ダビデを立てて王とされましたが、このダビデについてあかしして、こう言われました。『わたしはエッサイの子ダビデを見いだした。彼はわたしの心にかなった者で、わたしのこころを余すところなく実行する。ダビデは、その生きていた時代において神のみこころに仕えて後、死んで父祖たちの仲間に加えられ、ついに朽ち果てました。 しかし、神がよみがえらせた方は、朽ちることがありませんでした。 使徒13:22、36~37

 

メシヤという言葉は、ヘブライ語のマシアッハであり、ギリシャ語の直訳ではクリストス、英語でクライスト、日本ではキリストである。意味は油注がれた方、神に選ばれた方、救い主である。最初のメシヤはダビデだろう。後の世代の人たちは、神が救い主を送って下さると願っているとき、ダビデのような王を送って欲しいと望んでいた。救いをもたらす方、正義をもたらす方、正しく治める方を起こしてくださる神の約束だった。ダビデの後は、ダビデより優れた王は出なかった。300年後、王位はなくなる。が、ダビデの子孫は続いた。最終的なメシヤはイエスキリストである。イエスはダビデの子孫だった。イエスの育ての父ヨセフはダビデの家系(ユダ族)である。ダビデは(キリストも)初めは目立たなかった。村人の末っ子に生まれ、羊を飼う者だった。後に、逃亡者になった。イエスキリストは馬小屋で生まれ、大工の子である。赤ちゃんの時逃亡生活をした。ダビデもイエスキリストも30年間普通の生活をしていた。

 

すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。 この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。 この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。ヨハネ1:9~11

 

正統な王様なのに誰も認めない。隠れていても栄光と尊厳を持っている。徐々に栄光を表された。犠牲的に働き、人々が悟るのを待っている。私たちが認めなくても、私たちを助け、癒してくださる。本当の王様だから権威がある。私たちはこの方の言うことを聞かねばならない。私たちの日常生活のすぐ近くにおられる。孤独、心配、悩みの時、私たちの王様は隠れているがそこにいる。

 

この者どもは小羊と戦いますが、小羊は彼らに打ち勝ちます。なぜならば、小羊は主の主、王の王だからです。また彼とともにいる者たちは、召された者、選ばれた者、忠実な者だからです。黙示録17:14 


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