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マリヤと私たち [ウェストン師] [礼拝メッセージ]





◆ ルカ 1:26~38 より

 This message is mostly Max Lucado’s message which he wrote in his book: “Next Door Savior” このメッセージはほとんどマックス・ルケードさんのメッセージです。彼の本:「隣の救い主」という本に(英語で)書いてあります。

I have just translated it and added some of my own comments.私はただ翻訳して自分のコメントをちょっと加えました。

Pray.

Most of us have heard about “the virgin birth”.皆さんは処女降誕を聞いたことがあるでしょう。

Almost every Christmas we read it and consider it.殆どの毎年クリスマスになると私たちは聖書のマリヤ処女についての箇所を読んで考えます。

Here we are again, this year doing the same.今年も、また、マリヤ処女について学んでいます。

Max Lucado says: The virgin birth is much more than a Christmas story. マックス・ルケードさんによって、処女降誕はたんなるクリスマスの話しではありません。

It is a picture of how close Christ will come to you. 処女降誕を通して私たちは「キリストがどれほど私たちに近づくか」教えられます。

Let’s think about this.それについて少し考えてみましょう。

The first stop on Christ’s itinerary was a womb. キリストがこの地上に来られた時、最初の滞在先は子宮でした。

In Japanese culture people hardly ever touch. Rather we bow.日本の文化では人々はあまり他の人にさわれることはしません。むしろ、会う時挨拶として私たちはおじぎをするでしょう。

There is nearly always a polite gap between Japanese people. 日本人の一人一人の間にいつも礼儀正しいギャップがあります。日本人の間ではいつも儀礼的間隔を置きます。

But on special occasions, we might bridge that gap.しかし時として、特別な場合、私たちはそのギャップに橋渡しをします。

How close will God come to express His love?愛を表現するために神様はどれほど私たちに近づくでしょうか?(1km?100メートル?10メートル?1メートル?50センチ?5センチ?)

Where will God go to touch the world? 私たちの世界に彼の愛の影響を与えるために神様はどこを触れに行きますか?

Look deep within Mary for an answer. 答えを得るにはマリヤの奥底を見てください。

Better still, look deep within yourself. さらに良い事には、自分の心の奥底を見てください。

What He did with Mary, He offers to us! マリヤに対してなさった事を神様は私たちにもなさる可能性があります。

He issues a Mary-level invitation to all His children. “If you’ll let Me, I’ll move in!”「もしよろしければ、私はあなたの中に入って滞在します!」と神様はマリヤに言われた様に神様の全ての子供達にも言われています。

Proliferating throughout Scripture is a preposition that leaves no doubt — the preposition in. (英語で)私たちが疑わない様に、聖書のあちこちに書いてある、何回も繰り返される一つの言葉があります。「in」という言葉です。

Jesus lives in His children.イエス様は彼の子供達の中に生きています。

To His apostles, Christ declared, “I am in you” (John 14:20, emphasis mine).ヨハネ14:20 「わたしがあなたがたにおる」とキリストは弟子達に言いました。

Paul’s prayer for the Ephesians was “that Christ may dwell in your hearts through faith” (Ephesians 3:17, emphasis mine).エペソ3:17 「こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。」これが使徒パウロの祈りでした。

“Christ in you, the hope of glory” (Colossians 1:27, emphasis mine).

コロサイ1:27この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。

And the sweetest invitation from Christ?そしてキリストからの一番素晴らしい招待は:

Here I am! I stand at the door and knock. If anyone hears My voice and opens the door, I will come in and eat with him, and he with Me. - Revelation 3:20, emphasis mine黙示録3:20 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。

This is the common experience of every Christian. 全てのクリスチャンはこれを体験しました。

This is what we do, in order to become a Christian. クリスチャンになるために私たちは戸を開けてイエス様を受け入れます。

So the Bible says: (John 1:12) Yet to all who did receive him, to those who believed in his name, he gave the right to become children of God” だから(ヨハネ1:12)「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」と聖書は言います。

And (Rom 8:9) “if anyone does not have the Spirit of Christ, they do not belong to Christ.そして(ローマ8:9)「キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。」と言います。

And: (1John 5:) “11 And this is the testimony: God has given us eternal life, and this life is in his Son. 12 Whoever has the Son has life; whoever does not have the Son of God does not have life.そして:(1ヨハネ5:)「1そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。12 御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。」と書いてあります。

 

A womb, (Mary’s womb) was the first stop on Christ’s itinerary. 子宮 は(マリヤの子宮)はキリストの旅程で最初の滞在先でした。

But that wasn’t His one and only destination. しかしそこはキリストの唯一の目的地ではありませんでした。

Christ grew in Mary until He had to come out. キリストはマリヤのおなかから出る時まで、彼女のおなかの中で成長しました。

Christ will grow in you until the same occurs. 同じ様に、あなたから出る時まで、キリストはあなたの中で成長するでしょう。

He will come out in your speech, in your actions, in your decisions. キリストはあなたの話しに、あなたの行動に、あなたの決定に出て来るでしょう。

Every place you live will be a Bethlehem, and every day you live will be a Christmas. あなたの住む所は全て、ベツレヘムになります。あなたの毎日はクリスマスになります。

Don’t wait until Dec 25! 12月25日まで待たないでください。

You, like Mary, will deliver Christ into the world.あなたはマリヤの様にこの世にキリストを生むでしょう。

God in us! Have we sounded the depth of this promise?私たちの中におられる神様!この約束の重みを体験しましたか?豊かに理解しましたか?

You are a modern-day Mary. Even more so. あなたは現在のマリヤです。それ以上です。

He was a fetus in her, but He is a force in you. なぜかというと、マリヤの胎内のキリストは胎児でしたが、あなたの中にいるキリストは超自然的な力です。

He will do what you cannot do. あなたにできない事を、彼はなさいます。

Imagine a million dollars being deposited into your checking account.あなたの銀行口座に100万ドルが預金されたと想像してください。

To any observer you look the same, except for the goofy smile, but are you? Not at all! 周りの人々みんなに対してあなたは同じ様に見えます。しかし実際には、全然違います。

With God in you, you have a million resources that you did not have before.あなたの中に神様がいるなら、あなたには以前にはなかった100万の新しい可能性を持つことになります。

Can’t stop drinking or worrying? Christ can. 酒をやめることができませんか?キリストはできます。不安を感じることから自分を解放することができませんか?キリストはできます。

And He lives within you. そして彼はあなたの中に宿っています。

Can’t forgive the jerk, forget the past, or forsake your bad habits?

愚か者を赦す事ができませんか? 過去の事を忘れられませんか?悪い習慣を直す事が中々できませんか?Christ can! キリストはできます。

And He lives in you. そして彼はあなたの中に宿っています。

Paul knew this.使徒パウロはこの事実を知っていました。

To this end I also labor, striving according to His working which works in me mightily. - Colossians 1:29, emphasis mine彼はこう言いました:(コロサイ1:29) このために、私もまた、自分のうちに力強く働くキリストの力によって、労苦しながら奮闘しています。

Like Mary, you and I are indwelt by Christ. マリヤの様に、キリストはあなたがたのうちにも、私のうちにもいます。

Find that hard to believe? ちょっと信じ難いですか?

How much more did Mary? マリヤにとってはさらに信じ難かったでしょう。

No one was more surprised by this miracle than she was.マリヤよりもこの奇跡でびっくりした人はいませんでした。

Before Gabriel brought God’s message to her, Mary never dreamed of being the mother of God. 御使いガブリエルがマリヤに来て、神様の知らせを彼女に伝える前にマリヤは全然「神様のお母さんに成ろう」と思いませんでした。

Before someone brought God’s message to us, we never dreamed of being the dwelling of God. 誰かが私たちに来て、神様のよい知らせである福音を私たちに伝える前に私たちは全然「神様のお住まいに成ろう」と思いませんでした。

But Mary became the dwelling place of God and we have too! しかしマリヤは神様のお住まいに成りました。そして私たちも。

May our everyday lives accurately reflect this reality. 私たちの日常生活がこの現実を正確に反映しますように。

 

Now consider Mary’s effort to become God’s dwelling place. さあ今度、神様のお住まいに成るために、マリヤのした努力について考えましょう。

No one was more passive than she was. マリヤよりも受け身な人はいませんでした。

God did everything. 神様は全てをなさいました。

Mary didn’t volunteer to help. マリヤは神様を手伝いましょうとボランティアしたわけではありません。

What did she have to offer? Advice? 彼女は何を与えることができましたか?アドバイスでしょうか?

“From my perspective, a heavenly choir would add a nice touch.” 例えば:「ああ。神様。天使の聖歌隊でいいではありませんか?」

Yeah, right. ちょっと。ね!

She offered no assistance.彼女は手伝おう!と言いませんでした。

And she offered no resistance. 抵抗もしませんでした。

She could have said, “Who am I to have God in my womb? I’m not enough.” 「私は誰でしょうか?神が私の子宮に?私はふさわしくない。」とマリヤは言うことはできました。 私の子宮に神を宿らせるなんて、一体私は何者でしょうか?とても私にはそんなことは出来ません。とでもいったことでしょう。

Or, “I’ve got other plans. I don’t have time for God in my life.”あるいは:「私は別の計画があります。神様のための時間はありません。」

Instead, Mary said, “Behold the maidservant of the Lord! Let it be to me according to your word.” - Luke 1:38しかしその代わりにマリヤは「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」と言いました。

If she is our measure, God seems less interested in talent and more interested in trust.彼女を基準とすると、神様は私たちの才能よりも、信仰に興味があります。

Hallelujah! This is good news. ハレルヤ!これはよい知らせでしょう。

 

Unlike her, we tend to assist God, assuming our part is as important as His. 残念ながら、私たちは、マリヤと違って、神様に手伝いがちです。私たちの働き・努力が神様の働き・努力と同じような大切さと仮定するからです。

Or we resist, thinking we are too bad or too busy. それとも、私たちは「私は悪すぎる。」あるいは:「ぼくは忙しすぎる」と考えて、抵抗するのです。

Yet when we assist or resist, we miss God’s great grace. しかし、私たちは神様に手伝う時も、神様を抵抗する時も私たちは神様の偉大な恵みを失います。

We miss out on the reason we were placed on earth —私たちがこの地上に置かれてくださった理油を失います。

Are we just a random accident?私たちの存在はたんなる偶然でしょうか?

Is there a reason for life? Is there a plan?生きがいがありますか?偉大な計画がありますか?

Max Lucado thinks there is. マックス・ルケードさんは「はい。あります!」と思っています。

(I think there is too.)私も。計画や生きがいがあると固く信じています。

It is, to be so pregnant with heaven’s child that He lives through us. つまり:天国の子を持って(妊娠して)から彼が私たちを通して生活しておられます。

To be so full of Him that we could say with Paul, “It is no longer I who live, but Christ lives in me.” - Galatians 2:20ガラテヤ2:20もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」と使徒パウロが言った様に私たちもキリストに満たされて、言うことができる生きがいです。

~Next Door Savior by Max Lucado マックス・ルケードの本:「隣の救い主」

 


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