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兄弟たちと同じように [ヤング師] [礼拝メッセージ]





◆ ヘブル 1:1~4, 2:10~18 より

聖書にはよく父と子の話がでてきます。また新約聖書になると、父なる神と子なる神の話が出てきます。

へブル13には「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり」とありますが、これは、御子を見れば神がわかる、という事です。「へブル人への手紙」は著者不明ですが、この箇所はヨハネの福音書に書かれていることとよく似ています。

ヨハネの福音書11「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」とありますが、この「ことば」とはキリストの事です。神は「ことば」を通して語るのです。

ことばは、初めは口頭で、預言者たちが人々の前に立って演説することによって伝えられました。

まずは話し言葉だったのです。モーセは律法を教えて、書き留めました。話と文字と両方です。

族長たち(アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ)が説教している場面は聖書の中にあまりないです。しかし彼らに出会った人々は神を知ることができました。神がこの人と共にいるという事がわかりました。

イエスは父なる神と全く同じ性質で、神を表すことがでます。行動も神の行動とそっくりです。

ヨハネ103738「もしわたしが、父のみわざを行っていないのなら、わたしを信じないでいなさい。しかし、もし行っているなら、たといわたしのいう事が信じられなくても、わざを信用しなさい。それは、父がわたしにおられ、わたしが父にいることを、あなたが悟り、また知るためです。」と、イエス様ご自身が、御自分の行動は神様と同じだと主張しておられます。

聖書には教えだけでなく、イエス様の人生が載っています。ことば、行動、苦しみや苦難も。イエス様は私たち人間と同じ性質を持っています。肉体を持ち、容姿も特別な人ではなく、試練や誘惑にも会いました。それゆえ、私たち人間を助けることができるのです。

私たちを助けるためには、私たちのようにならなければいけませんでした。

大祭司の役目は、神のことばを受けて人に与えることです。

律法、さばき、赦し、恵みなどのことばを与える、つまり人の前で神を現し、また、人々の祈り、捧げもの、礼拝などを神に差し出し、神の前で人を現しました。

キリストは「私たちの大祭司」という名前がついています。人の前で神を現し、神の前で人を代表する、私たちの仲介者です。普通の祭司達は、弱さがあり、罪をおかしてしまうこともあり、自分自身のために生贄を捧げなければならないこともあります。

しかしキリストは完全な祭司。罪もなく、神を完全に現すことができます。そして、私たちの事を、御自分の身をもって神に見せることができます。

神が人間の内に来て、人間を救った。これがクリスマスの中心的な意味なのです。

創世記27によると、人は塵から創られました。しかし神の息(霊)を吹き込まれています。けれども罪による堕落で、神の霊は弱っています。弱った霊を神が取り戻そうとしているのが聖書全体の物語なのです。

旧約、新約はその解決、最終的な解決は、クリスマスです。もう1回、神の霊は人間に入り、人間を生かせる。それによって神と通じることになります。

私たちの中のキリストの霊は神に直結しているので、私たちの祈りは神に通じるのです。

私たちは人間です。しかし、神の霊が宿る人間です。塵と霊を併せ持っています。

キリストが言いました「私は世の光です。」また、同じキリストが「あなた方は世の光です」とも言われました。

キリストが持っているものを、私たちも持っているはずです。皆さんも神のことばです。この世の人々が私たちを見たり、聞いたりします。私たちは自分自身ではなく、自分に霊を与えてくださった方を現すべきです。

へブル36「もし私たちが、確信と、希望による誇りとを、終わりまでしっかりと持ち続けるならば、私たちが神の家なのです。」


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