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ナアマンの癒し ② [金井兄] [礼拝メッセージ]



~①のつづき~

ナアマンが癒しについて疑いを持ったことは、ナアマンに対する
神様の訓練だったと思われる。
疑わずに、すぐに信じたら、ナアマンは自分の信仰を誇ったかもしれない。
また、エリシャはナアマンに直接会わずに、神様の言葉を伝えることで病を癒した。
このことで、本当に力があるのは神様であることを、
ナアマンは自分の体験として知る事ができた。

ナアマンが謙虚さを持っていたことも、ナアマンが救われたひとつの
要因かもしれない。
謙虚とは、裸になることであり、自分の弱さをさらけだすことでもある。
主の力は、弱さの中にこそ、完全に現れる(2コリント12:9)。

このナアマンの物語は、まだ教会を知らない人が、誰かに誘われて教会に来て、
救われる方法を聖書から学びながらも、本質的でないことにつまずいて疑い、
なかなか救いの道に入れなかったのが、最後には神様を信じて救われた、
そんな話に似ている。
初めて教会に来た人は、ナアマンのように心に鎧を来て、緊張しているかもしれない。
教会は、そのような人を暖かく迎え、リラックスさせ、
心の鎧をほどくお手伝いをする場所でありたい。
また、ナアマンの召使の少女のように、他人を教会に誘ったり、
ナアマンのしもべのように周囲の人を諭したり、エリシャのように
大胆に神の言葉を語ったり、私たちにもできることはたくさんある。
一人一人が神の器として用いられていることを、もう一度よく考え、
神様に喜んで奉仕を捧げたい。
特に、会堂が新しくなり、新しい方々が多く来ていただけることを期待している今、
神様のベスト方法を示していただけるよう、みんなで祈ってゆきたい。
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