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世の始まり、新しい世の始まり [ラルフ師] [礼拝メッセージ]





◆黙示録 22:1~5 より

黙示録は天国の黙示が書かれてある。
世の終わりは、悪との戦いは終わる。
そして、神と永遠の交わりに入る大きな希望である。

聖書の初めの創世記と最後の黙示録は並行している内容は多い。
創世記は、最初の世が創られたこと・霊的な状態が書かれてあり、
黙示録は、新しい世と私たちの将来の状態が書かれてある。
創世記には太陽が造られたことが書かれてある。
太陽は地球上の生命にとってなくてはならないものであるが、
神の被造物なので拝まない。
私たちは太陽を造った方を拝む。
天国に太陽はいらない。
神の栄光は太陽に優っている。

最初の人間アダムは、自分で神を愛するかどうか決めなければならなかった。
それは試練だった。
神は人に無理矢理愛させることはさせない。
自由意思を与えた。
私たちも自由意思が与えられているが、その結果、自由意思を悪用してしまうことがある。
神が望まないことや神のみ心を求めないなど。
私たちはアダムとエバとそれほど変わらない。

黙示録22章2節から永遠の神の国の様子が書かれている。
そこでは、罪のゆるしは完全に実行される。
罪はなくなるので、信仰の試練はない。
また、いのちの木の実を食べる。
いのちの木の実はエデンの園でアダムとエバが食べていた。
この世ではまだ食べられない。
神の栄光を表す単語のひとつに「シェキナ」がある。
聖書を読み祈るとき、神の栄光を経験できるが、特別な「シェキナ」は、
信者が集まって神を礼拝するとき、神の栄光は完全に現れる。

礼拝は大切である。
神の栄光を求めよう。
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