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主の年に生かされる [丸山師] [礼拝メッセージ]

ー音声1-

イエス様は「あながたは何を見に荒野に行ったか」と問います。

ヨハネに会うため、荒野に行ったのは神の御言葉を聞くためではなかったか。

同じ事を私たちも問われています。畑沢の船に乗るお一人お一人が主の御言葉をしっかり聞くためにいます。

 

28節は今日の中心的な言葉です。

ヨハネを賞賛しますが、ヨハネが人格的に素晴らしい、立派、という意味ではありません。ヨハネのしたこと、その役割、特権という意味で優れているということです。神様がどうやって人間を救おうとされたか、それを救済の歴史、救済史といいますが、その中での最高の人でした。

ヨハネの出現は人間の歴史において、正確には神と人間の歴史においてですが、大きな事でした。

新しい時代が来る。その幕開けです。主イエス様によってもたらされる新しい時代、

神の国に生きる者が律法と預言者によって歩む旧い神の民イスラエルよりも遥かに素晴らしいという言葉です。

 

ー音声2ー

 

『すぐれて・・』とありますが『大きい』で良いと思います。

ヨハネはイエス様が与えて下さった神の国の祝福を十分に味わうことなくこの地上を去りました。イエス様の十字架や復活、聖霊が下る祝福も知りません。主からの恵みは、ヨハネよりその後に生きる私たちのほうが大きいでしょう。

イエス様の十字架と復活を知っている私たちは恵みの時代に生かされています。

 

モーセもそうでした。約束の地、カナンに入る前にピスガの高嶺から、その地を見下ろしました。エジプトから民を率いて、約束の地を目の前にしながらも彼自身はそこに入らなかった。

実際にその後入った人たちの方が大きな特権に与ったのです。

 

改めてイエス様がこの世に来てくださったインパクトを思います。イエス様が生まれる前の時代を英語でBCBefore Christといいます。イエス様が生まれた後はAD、ラテン語でAnno Domini主の年です。主の年に生かされているのです。

 

新たな時代をヨハネは示しました。それを聞いた反応は2つのグループがありました。

第一の人々、新しい時代を受け入れた人々です。ヨハネの教えを神の言葉として聞いた人、信じて悔い改めの洗礼を受けた人。罪人の代表のような取税人もそうしました。

第二の人々、新しい時代を受け入れなかった人々、ヨハネの言葉を神の言葉として聞くことはもちろん、ヨハネは悪霊につかれているとまで言った人々です。パリサイ人、律法学者は悔い改めの洗礼を受けることはしなかった。律法をよく守っていると彼らは誇りがありました。

 

受け入れなかった彼らをイエス様はたとえました。

 

笛を吹いて、踊るという喜びをあらわす結婚式ごっこと、弔いの歌を歌って泣くという葬式ごっこ。

笛でも吹けば皆が反応して踊って結婚式の遊びをしてくれるかなぁ、と期待させながら笛を吹いたけど、全く反応がない。

反対に悲しみの歌を歌っても相手は泣いてくれない。葬式ごっこも乗ってくれない。あの子達はなんで何も振る舞ってくれない?反応がないの?と怒っている子供。

 

ヨハネはラクダの皮でできた着物を着て、いなごと野蜜を食べて生活していました。人間の罪を指摘し、悔い改めを厳しく促しました。

 

パリサイ人らはヨハネを見て言います。私たちは笛を吹いて結婚式ごっこをしたいのに、あのヨハネの生活は何なのかと。私たちはあんな暗い生活をしたいのではない、もっと神の祝福を喜ぶ生活をしたい。あいつはおかしいのではないか。悪霊につかれている、と。

パリサイ人は、イエス様には違うことを言います。イエス様が取税人や罪人と食事をしていると、あの陽気さは一体何を考えているのか。信仰深いユダヤ人のすることではない。もっと厳かな生活、葬式ごっこをしたいのだ。罪人と救いを喜ぶ生活なんて考えられない、そこに加われないと言います。

 

5章で取税人レビのところでもそのような態度でした。

パリサイ人は律法をしっかりと守る、行いという自分の義を主張しました。自分が神から離れてしまっている、神様との関係を失っている罪人であることを認めようとしませんでした。

 

最後にイエス様はおっしゃいます。

 

 

「知恵の正しいことは、そのすべての子どもたちが証明します。」

神の恵みによって救われた人は知恵の子供たちのようです。

律法をよく知っているという意味ではパリサイ人の方に知恵があるような気がします。

しかし、ある本に書いてあったのは、自分が何もないと認めて救いを受けた人は、何よりもまことの知恵である神との交わりが回復する、と。全ての知恵の源であるお方と再び正しく結び合わされることによって、真の知恵を持つようにされる。それは、神とはどなたか、人間とは何なのか、この世界に生かされている、人生の目的は何なのか等を知ることです。

 

そんな知恵の子供とされた私たちによって神の正しさが証明される。恵みによって救われた私たちの歩み生き方が、神様こそ真の知恵のある正しい方であることがあらわされる。救われた私たちが神の栄光をあらわす器として変えられる。日々イエス様によってつくりかえられて、ご自分の知恵の正しいことを、私たちを用いようとする。そのような祝福の歩みに招かれている私たちです。

 

ヨハネは古い時代の最後に立って新しい時代の到来を告げました。全く今までとは違う時代。

言ってみればイエス様の到来は天と地が結び合わされる事でした。その新しい恵みの時代に私たちは生かされています。

 

主の年2017年。新しい時に私たちが生かされていることを覚えます。旧約でぼんやりとしていた救いが、イエス様の十字架と復活によって示された永遠の命が、はっきりと示されています。それを知っている事は、イエス様によってもたらされている神の国に生かされていることは、ヨハネよりも素晴らしいのです。

この時代に生かされている喜びと使命と責任を覚えて、イエス様の恵みにお応えしていきましょう。


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